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“木を見て森を見ず” (小さいことに心を奪われて全体を見通さないことのたとえ)とか似たような諺で “葉を見て根を見ず” (ひとつの事ばかりに注意を払い包括的視野を失っている状態)というものなど、 古来人々は木を見て物事を判断する習慣でもあったのだろうか? 木を見て判断すると言えば、 果樹栽培に欠かすことの出来ない剪定作業。 なぜ剪定が必要なのかは「特集ページ」を読んで頂くとし、 剪定という作業(技)はとにかく奥が深い。 深く携わった者がひとたび木を見れば 根の張り具合から今後の成長具合まで見えるのだという。 ではなぜそうなのか?取材先で聞いてみると一つひとつ論理的に返事が返ってくる。 つまり見る人が見れば一本の木そのものの姿がまさに“履歴書”なのである。 データベースとも言うべきか。 勿論、手間隙を惜しまず剪定するのはより良い収穫を目指すためであり そのために、未来に起こりえる事を予測しながら二手三手先を読み、今、決断を下す。 だが剪定が行われる1~2月は最高気温が氷点下になることもしばしば。 体力的にも辛いが精神的にも思った以上にバードワークだ。 ほかにも作業の効率を良くするためにも剪定は行われる。 福島市の果樹は一つずつ人の手で実をもいでいく。 なので、どの位置に果実が実れば収穫がしやすくなるか。 ―とても大切なことなのだ。 このあたりに日本人らしい細やかな気配りであったりやさしさであったり、 所謂“察しと思いやり”を感じることができる。 食文化とは食べる物や食べる事、調理の文化だけではなく、 食べ物を作る(生産する)文化でもあるのだ。 #
by column_megumino
| 2011-02-02 00:45
禁断の果実とも医者いらずとも呼ばれる林檎。 世界では品種も相当多く、かなり古くから人々の身近に存在していたようだが、 日本で一般的に食べられるようになったのは明治以降のことだという。 原産地は中央アジア。16~17世紀にヨーロッパで栽培が盛んになり、 日本には明治になって初めて北海道に苗木が植えられた。 それ以前にも国内に林檎は存在した(所謂、和林檎)が、 観賞用であり「林檎=食べ物」となったのは意外にも割りと最近のことなのである。 林檎は今も品種改良が行われ、その数は200種を超えるとも。 取材で訪れた農園にも十数種類の林檎が栽培されていた。 「ふじ」、「紅玉」、「ジョナゴールド」とメジャーな林檎が並ぶ中、目に留まったのが「アルプス乙女」。 ふじと紅玉との偶発実生だそうで平均重量35gとピンポン玉ほどの可愛らしい林檎だ。 しかし、この農園に限っていえば「アルプス乙女」は完全に脇役扱い。 そのせいか農園の片隅に植えられたアルプス乙女の実が余計に微笑ましく感じた。 たわわに実った…というより、身を寄せあうようにという方が似合っている。 一口大の小さな林檎達。スーパーなどでも普段なかなか目にすることはないのだが、 縁日などでは逆に見ない方が少ないかもしれない。 そう、「アルプス乙女」は「リンゴ飴」として人前に並ぶ。農園では脇役でも縁日では堂々と主役を張る。 この農園の「アルプス乙女」も露天商が買い取っていったというので、皆様の中にもきっとどこかで口にされている方もいるのだろう。 #
by column_megumino
| 2010-12-04 17:11
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